三つの話

◎奈良の葛城山の麓に、「一言主神社」という社があります ◎

◎古代日本の偉大な人に、「空海(弘法大師)」という人がおられます ◎

◎「能」の演目に、「羽衣」という曲があります ◎


◎奈良の葛城山の麓に、「一言主神社」という社があります。◎

 1600年ほど昔のこと。第21代天皇であった雄略天皇が若かりし頃のこと。部下を連れ、狩に出かけられた天皇は、たまたま葛城の山中で、姿も形も自分たちとそっくりの一行に出食わします。
 天皇が、「この日本に自分以外に王はいないはずだが、お前たちは何者だ。」と問うと、向こうも同じことを言い返します。怒った天皇が部下たちに矢をつがえさせますと、向こうも弓矢の準備をしました。
 そこで天皇が、「まず名を名乗ろうではないか。」と言いますと、向こうは「もっともである。私が先に名乗ろう。私はこの山の神で、良いことも悪いことも、一言だけで宣(の)べる、一言主(ひとことぬし)の神である。」と言いました。
 天皇は畏(かしこ)まって、「神様とは知らずに失礼しました。」とわび、自分たちの武器や衣服を献上して引き上げることにしました。
 一言主の神は、あらゆるものの姿を、鏡のようにそっくりに映し出し、すべてを見透された上で、その人に必要なことを、一言だけで言われます。 


◎古代日本の偉大な人に、「空海(弘法大師)」という人がおられます◎

 1200年ほど昔。日本で一番初めに、「言葉」「文字」には霊力が宿り、大切にしなければならない、と説かれました。
 その後日本の話し言葉と中国の漢字から、日本語にふさわしい「ひらかな」や「カタカナ」を作り出されたのです。
 そして、なにより大事なことは、その「ひらかな」や「カタカナ」の上に、日記や小説のような文学、和歌や俳句のような芸術といった、日本独自の文化が華開いてくるのです。

中央公論社(書道藝術)


◎「能」の演目に、「羽衣」という曲があります◎

 「能」は600年以上も前の室町時代から続いてきて、今も演じられる舞台芸術です。今の「オペラ」や「ミュージカル」みたいなものでしょうか。ただし、そのセリフは、巧みな和歌や美しい文章でできています。
 「羽衣」というのは、天女の着ている羽衣を手に入れた漁師の「白龍」と天女の話です。
 白龍は、たまたま手に入れた羽衣を、返したくなかったのですが、それがないと天に帰れない、と悲しむ天女がかわいそうになったので、今ここで「天人の舞」を舞ってくれれば返しましょう、と約束します。
 でも、その羽衣がないと舞えないので、「先に衣を返してほしい。」と頼む天女に、「先に返したら、舞わずに天に帰ってしまうのだろう?」と疑います。
 そのとき天女は、「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを。と言います。
 これを聞いたとたん、白龍は己を恥じ、すぐに衣を返します。
 天女は羽衣を着て舞を舞ったあと、天の国へと帰って行きました。
(※「疑う」ということは、人間の世界にだけあるもので、天の世界には「いつわり」などというものは存在しないのですよ。)

(シテ方観世流能楽師:田中 隆夫)